茨城港(常陸那珂港区)の概要

茨城港(常陸那珂港区)

太平洋の海原と北関東の大地をつなぐ新時代の門戸「茨城港常陸那珂港区」

昭和58年、北関東の新たな物流拠点及び首都圏の電力需要に対応するエネルギー基地を担う重要港湾として「常陸那珂港」の計画が策定されました。その後、背後地域の物流需要の増大やコンテナ船の大型化等の状況に対応するものとして適切に計画を変更しつつ平成元年、工事に着手しました。
東・北・南防波堤及び、計画総面積752ha(うち埋立面積303ha)には北・中央・南の3ふ頭を配置、水深-18mの専用岸壁の他、-5.5m~-15mの公共岸壁を設け(一部は整備中)、首都圏の新たな国際物流拠点港湾としての機能の充実を図っています。

常陸那珂港区開発の経緯

現在の常陸那珂港区のエリアは太平洋戦争中、日本陸軍の飛行場として整備され、戦後は米軍に接収され対地射爆撃場として使用されていました。
昭和48年3月返還され、第3次全国総合開発計画等において跡地の総合的利用が検討され、物流拠点として整備する方向が位置づけられました。
昭和58年3月、重要港湾に指定され、平成元年より整備が開始されました。
また、昭和63年には、高まる首都圏のエネルギー需要を満たすため、石炭火力発電所の立地が確定し、平成15年12月からは本格稼働が開始しています。
現在も大規模な整備が続行中ですが、既に内貿4航路、外貿12航路が運行され(平成28年12月現在)、近隣には建設機器メーカーの工場が立地し、コンテナ、国際RORO航路、エネルギーの供給拠点として発展しています。

平成元年撮影

平成元年撮影

平成6年撮影

平成6年撮影

令和元年撮影

令和元年撮影

沿革

1983(昭和58)年 3月 重要港湾に指定される。起工式
6月 港湾計画策定
1989(平成元)年 7月 作業基地着工
1993(平成5)年 5月 北埠頭地区着工
1998(平成10)年 12月 北埠頭地区内貿バース供用開始、 第1船入港
2000(平成12)年 4月 北埠頭地区外貿バース供用開始、極東ロシア定期航路開設
8月 韓国定期コンテナ航路開設
11月 北米定期RORO航路開設
12月 欧州定期RORO航路開設
2001(平成13)年 2月 中央埠頭地区本格着工
4月 関税法に基づく開港となる
7月 苫小牧港との定期RORO航路開設
2002(平成14)年 1月 韓国定期コンテナ航路の中国(華中)延伸
2月 中国(華南)定期コンテナ航路開設(2004年2月航路休止→廃止)
6月 ひたちなかポートウェブ運用開始
2003(平成15)年 12月 常陸那珂火力発電所本格稼働開始
2004(平成16)年 2月 北米定期コンテナ航路開設
2006(平成18)年 3月 中央埠頭耐震強化岸壁(-7.5m)供用開始
6月 北米定期コンテナ航路月2便化
2007(平成19)年 4月 四国定期コンテナ航路が日立港よりシフト(2012年10月航路休止→廃止)
2008(平成20)年 12月 県北3港統合により茨城港誕生
2009(平成21)年 3月 港湾計画改訂
8月 中央埠頭-9m岸壁供用開始、苫小牧定期RORO航路 1日2便化
10月 豪州定期在来航路開設
2010(平成22)年 7月 港湾計画一部変更
10月 極東ロシア定期RORO航路開設
2011(平成23)年 2月 北九州定期RORO航路が日立港区よりシフト、アフリカ定期RORO航路開設
南アメリカ定期RORO航路開設
3月 東日本大震災発生
6月 東南アジア定期RORO航路開設
2012(平成24)年 3月 豪州定期RORO航路開設
10月 中国・韓国・東南アジア定期コンテナ航路開設(2015年8月航路休止→廃止)
2013(平成25)年 3月 中国・韓国・東南アジア定期コンテナ航路が改編され、タイ・ベトナムの延伸により、 中国・フィリピン・ベトナム・タイ定期コンテナ航路に変更
10月 東・南アフリカ定期RORO航路開設
12月 常陸那珂火力発電所2号機本格稼働開始
2014(平成26)年 11月 西ヨーロッパ定期RORO航路開設
2016(平成28)年 4月 定期コンテナ(国際フィーダー)航路開設
中央埠頭-12m耐震強化岸壁供用開始
7月 アフリカ定期RORO航路開設
9月 飛鳥Ⅱ初入港
11月 SUBARUによる北米向け乗用車の輸出が開始
2017(平成29)年 4月 韓国・中国定期コンテナ航路開設
12月 定期コンテナ(国際フィーダー)航路増便
2018(平成30)年 10月 アフリカ定期RORO航路開設
11月 港湾計画一部変更

 

茨城港(常陸那珂港区)の主な立地企業

茨城港(常陸那珂港区)の主な立地企業

管内のプロジェクト

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