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東京港の歴史
歴史紙芝居「東京港が生まれるまで」
家康が夢見た港湾都市
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東京湾の埋立の変遷
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家康が夢見た港湾都市。東京港は夢のはじまり

有明、お台場、芝浦、豊洲と近年開発が著しい東京港ですが、15世紀、江戸城を築いた太田道灌が「江戸湊」を開いた当時は、海岸線は現在の皇居辺りまで入り込んでおり、日比谷は「日比谷入江」と名付けられた浅瀬でした。

江戸時代に入り、徳川家康は江戸のまちづくりの基本として、「港湾都市」を構想し、江戸湊の整備を推進しました。そこで、当時の「神田山」と呼ばれる丘陵(現在の駿河台)を切り崩し、日比谷入江が埋め立てられました。 これが東京港の埋立の始まりになります。

江戸湊の整備事業
(16世紀末)
現在の駿河台あたりにあった神田山を切り崩して、日比谷入江を埋め立てました。
その後も、神田山を切り崩し、日本橋浜町から新橋までの埋立をおこないました。
江戸湊の整備事業(16世紀末)
鈴木理生『江戸の川・東京の川』、日本放送出版協会、1978.3より作成


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