関東地方整備局 港湾空港関係組織
100周年史【概要版】

鹿島港湾・空港整備事務所

鹿島港

泊地および中央航路にひしめく浚渫船
1969(昭和44)年
鹿島港 2020(令和2)年撮影
 黄点線部分が中央航路

茨城県東岸、太平洋に面する鹿島港は、1963(昭和38)年に国から重要湾港として指定されました。同じ年、鹿島港湾・空港整備事務所の前身である鹿島港工事事務所が開設され、大規模掘込湾港として工事を開始し1969(昭和44)年に開港しました。

現在では、港の直背後に鉄鋼・石油化学・飼料等のコンビナート群が形成され、世界最大級のコンビナートとして発展しています。

常陸那珂港

作業基地整備完了 1993(平成5)年
常陸那珂港 2020(令和2)年

第二次世界大戦中は陸軍飛行場として、戦後はアメリカ軍によって「水戸対地射爆撃場」として使用されていた茨城港常陸那珂港区は、1973(昭和48)年に日本政府へと返還されことを受け、1981(昭和56)年には流通拠点としての港湾及び国営公園等の建設が中心となったプロジェクトが決定されました。

1990(平成2)年に鹿島港工事事務所常陸那珂工場が開設され、常陸那珂港の整備促進に努めてきました。

2008(平成20)年には、常陸那珂港・日立港・大洗港の三港を茨城港として統合、国際物流拠点として北関東地域の経済活動を支えています。

千葉港湾事務所

1960年代の千葉港周辺
地理院地図(国土地理院ウェブサイト)を加工して作成
2020(令和2)年 衛星写真
©NTT Data, included Maxar Technologies.
中央地区岸壁(-12m)

千葉港湾事務所は、1952年(昭和27)年に運輸省第二港湾建設局名洗港工事事務所として開設されました。

千葉港は、1954(昭和29)年の開港以来、我が国の基幹産業が立地する京葉工業地帯の基盤的港湾として成長してきました。

現在、千葉港の背後地では石油化学工業・鉄鋼業等の企業が立地しており、基幹産業の原材料の供給拠点となっています。また、火力発電所やガス工場等も建てられており、首都圏で消費されるエネルギー供給拠点の役割も担っています。

東京港湾事務所

青海縦幹線の渋滞状況
東京ゲートブリッジ

2002(平成14)年4月 東京港臨海道路Ⅱ期事業が採択されたことを契機に、東京港湾事務所が開設されました。

2012(平成24)年2月12日には、東京港内の物流効率化・交通混雑緩和を目的にした「東京ゲートブリッジ」の供用を開始、トラス構造の印象的な外観は、CM等にも多数用いられています。また、2020(令和2)年6月に供用を開始した「東京港海の森トンネル」も、東京港の混雑緩和に寄与しています。

特定離島港湾事務所

南鳥島
沖ノ鳥島

特定離島における港湾整備事業は、東京港湾事務所内に組織体制を整えて、2011(平成23)年に南鳥島における活動拠点の整備事業の現地着工、2013(平成25)年に沖ノ鳥島における活動拠点の整備事業の現地着工を開始しました。

2015(平成27)年には、特定離島港湾事務所が開設されました。

東京空港整備事務所

東京国際空港 (昭和30年代)
地理院地図(国土地理院ウェブサイト)
東京国際空港衛星画像 2020(令和2)年
赤点線部が昭和30年代の空港
©NTT Data, included Maxar Technologies.

東京空港整備事務所は、空港施設の建設・改良等を目的として、1965(昭和40)年に第二港湾建設局東京空港工事事務所として開設されました。

以降、沖合展開Ⅰ~Ⅲ期事業やD滑走路建設、国際線エプロン整備等、空港処理能力を拡大する整備事業を通じて、首都圏の国際競争力の強化、訪日外国人旅行者の更なる増加に対応しています。

京浜港湾事務所

横浜港

1945~1950年頃の京浜地区
地理院地図(国土地理院ウェブサイト)を加工して作成
2019年の京浜地区
地理院地図(国土地理院ウェブサイト)

1859(安政6)年の開港から150年以上に渡り、横浜港は我が国の文明開化の窓口として政治・経済・文化に先進的な役割を果たしてきました。

港湾空港部の前身となる内務省横浜土木出張所は1921(大正10)年に開設、横浜港の発展と共に100周年を迎えることになりました。

現在、横浜港は国際貿易港としての役割に加えて、大さん橋の整備等クルーズ旅客の受け入れ体制も整え発展しており、今ではコンテナ船の大型化やコンテナ貨物の増加に対応すべく、横浜港再編プロジェクトを進めているところです。

川崎港

1960年代の川崎地区
地理院地図(国土地理院ウェブサイト)を加工して作成
2019年の川崎地区
地理院地図(国土地理院ウェブサイト)

川崎港は、従来の工業港から国際貿易港に飛躍するため、1972(昭和47)年から開始した東扇島の埋立を1990(平成2)年に完成させました。1996(平成8)年には、東扇島において水深14mのコンテナ岸壁が供用を開始しています。

現在では日本随一の冷凍冷蔵倉庫群となっていて、2009(平成21)年からは物流機能強化とリダンダンシー確保のため東扇島と内陸部を結ぶ臨港道路の整備を行っています。

東京湾口航路事務所

暗礁化した第三海堡
第二海堡

1978(昭和53)年4月に一部改正された港湾法により、東京湾内を大型船舶が安全に航行できるよう航路内の障害物撤去や必要水深の確保といった開発・保全事業を国自ら行うこととなりました。1988(昭和63)年4月から京浜港湾で実施されてきた東京湾口航路業務を引き継ぐべく、2001(平成13)年東京湾口航路事務所が開設され、第三海堡の撤去等を行って航路の安全確保を実施してきました。

現在 護岸の整備等を進めている第二海堡は、現存する明治時代の要塞という歴史的価値から、土木の遺産として人気が高まっています。

横浜港湾空港技術調査事務所

横浜調査設計事務所庁舎
平面水槽施設

1959(昭和34)年、横浜調査設計事務所は、それまでは各事務所で実施してきた調査及び設計の業務を、集約的に処理することによって業務の専門化及び高度化を図ることを目的に開設されました。省庁再編が行われた2001(平成13)年には、横浜機械整備事務所と合併し、現在の横浜港湾空港技術調査事務所となりました。

現在では、東京湾の水環境再生に向けた実証試験フィールド等として「潮彩の渚」をオープンしています。

表紙背景画像の紹介

旧事務所の看板
庁舎竣功記念 1962(昭和37)年
第二港湾建設部庁
1949(昭和24)年
手前から本局、横調、京浜の
各庁舎 1962(昭和37)年頃
運輸省第二港湾建設局旗
1953(昭和28)年制定
旧庁舎玄関前での記念撮影
1958(昭和33)年頃
旧事務所前にて職員一同
(岡田稔秋氏提供)
運輸省当時のシンボルマーク
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