東京湾の歴史
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■建設に30年、関東大地震で沈下してから80年、いま撤去へ向けて

東京湾口航路説明図
(地図中の×は第三海堡周辺海域での主な海難事故 [11件])
 第三海堡は、東京を防衛するため、東京湾口の海中に設けられた砲台設置のための人工島です。明治中期から大正10年(1921)の竣工まで、巨額の工費をかけ、幾多の貴重な人命を犠牲にし、大変な苦労をして建設されました。しかしながら、竣工してからわずか2年後、関東大地震によって倒壊し、ほとんどが海中に没してしまいました。軍事施設としての本来の目的を全く果たすことなく、海底へ沈んでしまったのです。

  第三海堡は、仙台湾の野蒜築港と並び、文明開化期における土木事業の壮大な挑戦の軌跡のひとつと言えるでしょう。その後の第三海堡は、なかば暗礁と化し、東京湾口における障害物として多くの海難事故を発生させました。そこで、このたび、撤去事業が開始されることとなりました。

  この機会に今一度、第三海堡建設の意味と歴史に残したものについて考えてみることが必要ではないかと考えました。第三海堡の建設は、海洋港湾工事史上、壮大な実験としてその後の海洋港湾技術に多大な経験と教訓を与えたのです。そこで、第三海堡はどのようにして造られたのか、どのような貴重な経験と教訓を与えてくれたのか、その技術史上の意義を見て行くこととしましょう。



■第三海堡の歩み


第三海堡の歩み時系列説明図
真上から見た撤去前の第三海堡写真
真上から見た撤去前の第三海堡 平成元年(1989)撮影



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