国土交通省関東地方整備局 東京港湾事務所  
サイト内検索
HOME > 東京港の歴史 > 歴史紙芝居 > 国際貿易港へ(明治)
東京港の歴史
歴史紙芝居「東京港が生まれるまで」
家康が夢見た港湾都市
国内貿易港(江戸)
黒船来航(幕末)
国際貿易港へ(明治)
関東大震災(大正)
高度成長期(昭和)
東京港の歴史パンフレット
東京湾の埋立の変遷
レトロ資料館

明治を迎え、悲願の「国際貿易港」への脱皮はなるのか?

明治時代、隅田川口改良工事として、港の建設が始まり、その土砂による月島や芝浦の埋立造成も進められました。

この時代、船舶は帆船から蒸気船へと移行し、国際貿易に従事する船は大型化していきます。しかし、河川から流入する土砂で水深が浅くなるという問題を抱え ていた東京港は、大型船の停泊には不適当と判断され、外国貿易を許された「開港場」は大型船の停泊も可能な「横浜」になりました。

横浜港が「国際貿易港」として発展していくのに対し、東京港は江戸時代と変わらず、「国内貿易港」のままでした。

背 景
横浜港の特徴
水深が深い
→大型船の停泊に適当
当時は寂れた村
→横浜は街道から離れていたことも有り静かな村でした
東京港の特徴
水深が浅い
→河川から流入する土砂で水深が浅くなる。大型船の停泊には不適当
日本一の大都市
→外国との本格的な貿易は未知の領域。何が起こるかわかりませんでした

そのような状況のなか、東京港を国際貿易港として整備する『東京築港』は、官民の間で広く議論を呼び、お雇い外国人によって計画案も出されましたが、さまざまな反対論や東京市の財政難もあり、東京築港計画は暗礁に乗り上げてしまいました。

ムルデルの築港計画図
ローウェンホルスト・ムルデルは、オランダ人のお雇い外国人で、土木技師。利根運河の開削などに携わった。
「東京湾築港略図」、明治14年(1881)11月、
「東京湾築港二関スル「ムルドル」氏意見書」;
東京市役所『東京市史稿 港湾編第4』、1926.12

© TOKYO PORT OFFICE All Rights Reserved.